天国はだれのもの?
ちょっと今Lのお話に夢中になってますww(^^;)
まあ、たぶん<世界一周旅行殺人事件>というよりも<世界一周クルーズ殺人事件>とかワールドクルーズ殺人事件っていうタイトルのほうが正しいのかも、なんですけど……書いてて楽しいのはいいとして、やっぱりこれ、結構時間がかかりそうな感じなんですよね
よく考えたら、このワールドクルーズって約100日くらいかかるわけで、その途中で殺人事件が起きっていう設定な上、登場人物がやたら多い――そんなわけで、自分では結構書いたつもりでもお話全体としてはまだまだ全然進んでないような気がしたり(^^;)
でも自分的にはかなりエンジンかかってきた感じがするので、土曜以外あんまり小説書く時間ってとれないんですけど、このままゆっくり少しずつ書き進めるペースでいこうかなって思ってます♪
Lのお話は、Sweet☆じゃない長編の場合、彼はわたしの中のすべてを持っていく感じになるので――それ以外に文章を書いたりっていうことがかなりのところ出来ない感じになってしまうんですよ
なので、ここのブログはその間ほとんど記事とか上がらない状態になるかと思います(汗)
まあ、今回はちょっと『世界一周~』をキリのいいところまで書いたので、その余力(?)でひとつくらい何か書いちゃえ!っていうような気持ちで書いてるような感じです(^^;)
ええと、ひとつ下の記事でキリスト教においての天国云々……っていうことを書いた気がするんですけど、わたし自身は実は、自分に<天国>という概念が必要だったからキリスト教を信じたっていうわけじゃなかったんですよね。
というか、今も正直いって死んだあとは<虚無>でも全然かまわないと思ってる部分が大きいくらいかもしれません
昔、今ほど人間世界において<不幸>を知らなかった頃は――「生まれ変わり」というものがあってもいいかもしれないし、天国に行けるならそれもいい……くらいの曖昧な死生観しかなかったんです。
でも、自分で実際に死のうと思った時には、「生まれ変わり」なんて冗談じゃない、むしろそんなものがあってもらっちゃ困ると思うようになりました
これは確か江原さんもいつだったかTVでおっしゃっていたと思うんですけど、自殺すると、また生まれ変わった時に同じところで躓いて自殺したくなって悩むだろう……という、その可能性を自分は否定したかったわけです。そうではなく、死んだあとに行く場所が虚無ならわたしは全然救われるんだと、そんなふうに思っていたんですよね(^^;)
その後、生きるとか死ぬとかいうことを自力で乗り越えていくらか経った時、キリスト教に出会ったわけです。
でもわたしの中ではその時も死生観には何も変化はなく、人間は死んだらその魂は<虚無>のような場所へ行くのだろうと思っていました。
ところが、正統的な教えのキリスト教教会で色々と基本的なことを学ぶうちに――新約聖書のパウロではありませんが、それこそ「目から鱗が落ちる」ような経験をしたわけです。
日本っていう国ではキリスト教についての奇妙な偏見であるとか、そうしたことが案外幅をきかせているので、「どうしてわたしはこんなことも知らなかったんだろう」、「どうして誰も本当のイエスさまの姿について教えてくれなかったんだろう」という不思議な気持ちでいっぱいでした(第一、わたし自身がカトリック幼稚園のバスを見かけただけで「偽善者養成所に通わされている、可哀想な子供たち」とすら思ってましたから^^;)
キリスト教・キリスト教徒=偽善者・偽善的な神というイメージが何故か小さな頃からあって、少しもその教えについて知りたいとすら思っていなかったわけです
たぶん、キリスト教について知りたいと思った人が躓く要因のひとつが、<聖書>という存在かもしれません。
こんな分厚い本を読まなければ信者になれないだなんて、そのこと自体がおかしな宗教だと思う人も多いでしょう。わたしも、独学で聖書という書物を読みはじめた時――パラパラと見た文章を少し読んだだけで、何故こんなものが神の言葉なのかが、まったく理解できませんでした。
でも教会へ通って正しい教えの導きを受けた時に、突然色々なことがわかってきたわけです。
まあ、こういうことを書くと「もしかして洗脳されたのでは?」みたいに感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしが最初に聖書に対して感じた疑問は、教会へ通うことで解けたんですよ(^^;)
つまり、「なんでこんなものを十億人以上もの人が今も信じているのか?」という疑問に対する答えを教会で教えてもらったわけなんです。
こうしたことについては、いくら理屈を並べても仕方のないことで、実際に自分で経験しないことには信じられないし理解もできない領域のことなので、これ以上無駄に言葉を書き連ねるのはやめにしておきたいと思います
ただ、わたしが天国というものを信じているのは、少なくとも今も自分のためではないんです。
正確には、自分以外の他の人のために天国というものを信じているといったほうがいいと思います。
たとえば、わたしがもし死んでその魂が虚無へ旅立つのだとしても――そのことにはとりあえず耐えられるかもしれない。でも、自分にとって大切な人や好きな人が死んだあとに虚無のような場所へいくというのは、想像するのも悲しくて、耐えられないことだ、ということなんです。
仮にそれが人じゃなくても、わたしが昔飼っていたペットだっていいんです。わたしは絶対的に無条件で、昔飼っていたわんちゃんが天国にいると不思議なくらいに確信しています。おばあちゃんは仏教徒だったけれど、やっぱりうちで飼ってたわんこと同じ天国にいるような気がして仕方ない……カトリックでは、人間以外の動物に霊魂というか魂の存在を認めていないと言いますし、おばあちゃんには生前犯した罪の裁きが待っているということになるのかもしれない。
でも、それでも――人間死んだあとのことは、実際に死なない限りわからないわけですから(笑)、<天国>という希望があるのは、とても大切なことだと思うわけです。
もちろん、こうしたことを聞いても、全然ピンと来ない人も世の中にはたくさんいると思います。
人が<天国>ということを強く意識するようになるのは、自分か自分の家族など、大切な人が病気や事故で<死>の近くにいる時でしょうから、今<天国>云々と聞いてもあまりピンと来ない方はたぶん、そう意識はしていなくても、充実した幸せな生活の中にあるのかもしれません。
でもわたしがやっぱり<天国>ということを人に伝えずにいられないのは、今この瞬間にも「天国って本当にあるの?」ということに対して、答えを知りたい方が数多くいると思うからなんですよね。
実をいうと、今から何年も前に骨髄バンクに登録したんですけど――その実際に<登録する>ということにまで踏み切ったのは、ある白血病の女の子が亡くなって、その女の子の作品展を見たからでした。
確かまだ十歳にもならないくらいの頃に亡くなってしまったと思うので、その絵自体は小さな子供の描く、そんなに上手なものではなかったんですけど――死の間際に描かれた絵には何人も天使が描かれていて、涙がでそうになったのをよく覚えています。
わたし自身は今はキリスト教徒なので、もし小さな子が「人は死んだらどうなるの?」とか「天国って本当にあるの?」って聞いてきたとしたら、「うん、あるんだよ」って答えられるし、天国がどんな場所かについても知っていることを教えてあげられると思うんですよね。
でも、その白血病の女の子のお母さんは本当に切なかったと思います。
自分の娘がもうじき死ぬことを予感して、天使の絵を描いている……でも、日本人の場合は仏教にしても、そうはっきりした信仰の教えを持っている人は少ないですから、天国(死後の世界)のことについてうまく答えるのは本当に難しいと思うんですよね。
その女の子の作品展を見たことがきっかけで、ドナー登録をしたところ――それから何年もしてから、型の一致する患者さんが見つかったというお知らせをいただきました。
そこで、母に反対されつつも、一応すっかりそのつもりになって心の準備をしていたところ、そのお話は流れてしまったんですよ(^^;)
型が一致したという患者さんについての情報は一切教えてもらえないことになっていて、「もしかして病状がお悪くなったんですか?」と聞いても、コーディネーターの係のような人は「いえ、そうしたことについても何もお教えできないんです」とのことでした。
実際骨髄移植が成功しても、「ありがとうございます」という手紙が来るかもしれないし、来ないかもしれない、また骨髄提供したあとの患者さんがその後どうなったのか、回復したのかそれともお亡くなりになったのかということについても、一切教えていただけないということだったんですよね。
だから本当に、骨髄を提供する側は全身麻酔をされるわけですけれど、ほとんど無償の奉仕といった形になるわけです(入院の準備金のような形で、少しお金がもらえるといったようなことは書いてあったんですけど、それが大体四千円くらいだったでしょうか^^;)
わたしがイエスさまを信じるようになったのは、脳神経外科病院で看護助手の仕事をしていた頃の話なんですけど――その仕事をはじめて2~3か月くらいした頃に、教会へ通うようになったんですよね。
病棟の仕事って忙しいので、当時はあまり死生観についてとか、キリスト教を信じる前と信じたあとでどう変わったのかとかってあまり考えたことはなかったんですけど、あとにしてみると、自分がお世話をした寝たきりで意識のない方に対して、「このおじいちゃんもおばあちゃんも、みんな天国へいく!」みたいに心の底で思っていた点においては、たぶんキリスト教を信じる前と信じた後では全然違っていたわけです(^^;)
いわゆる<脳死>という状態にある患者さんもいたので、そうした方の意識が生きているのか亡くなっているのかって今も判断が難しいわけですけど――わたし自身はその過程がどうであれ、とにかく最終的にはみんな全員天国へいける!って考えていたんですよ。
もちろん、こうしたわたしの考えっていうのは、キリスト教神学的には間違っているという方もいるでしょうし、その寝たきりや脳死状態の患者さんたちが意識のある時にしっかりとイエス・キリストを受け容れていたのなら、天国へ行けるとおっしゃる方もいると思います。
でも、神さまのいう<天国>って本当に広いんですよ(笑)
入れるかどうかの審査は厳しく、その門も狭い……という噂もありますけど、マザー・テレサが貧しい人たちはみんな天国へ行けると信じていたみたいに、いわゆる異教徒であっても、天国へ行ける可能性はきっとあるってわたし自身は信じています。
そんなわけでまあ、ここって一応Lとウルキオラのためのブログなので、最後に彼らのことについて(笑)
いえ、デスノの世界観では死後に魂は<虚無>へいくということでしたよね……そんでもってわたし自身、Lがイエス・キリストを信じていたとか、そんなふうにはあまり思わないわけですけど(でもその方面に関する知識は一応持っていそう☆)、でもワイミーズハウスがあるのってイギリスですから、ワタリあたりが彼が子供の頃に洗礼とか授けてそうな気がするんですww
もしそうなら、Lは⑦巻でああなったあと(言葉にしたくない
)、ワタリと一緒に天国へ行けたのじゃないかなっていう気がするんですね(^^;)
そしてウルキオラはたぶん――孤独とか虚無とか死といったことについて、それを悲しいとか切ないといったようには思ってなかった気がするんです。「孤独だと?虚無だと?死だと?それが一体どうしたというんだ?」っていうような死生観というかww
でも、太陽(織姫☆)を知ってウルキオラの魂ってすごく救われたんじゃないかなって思う。。。
虚無の中にも光が差すということがあるのを知って、嬉しかったんじゃないかな、というか(^^;)
ちょうどわたしが、キリスト教徒になる前は「死後は虚無だが、それがなんだというだろう?」と思っていた時に天国って本当にあるということを信じたみたいに――ウルキオラにとって織姫って本当に天使みたいな存在だったんだろうなって思うんですよね(笑)
まあ、こういう二次元の話と現実を混ぜるのはどーかとは自分でも思うんですけど(苦笑)、わたしにとって彼らってばあんまりその存在が好きすぎてリアルに実在しているかのよーにしか思えないんだから仕方ない(^^;)
ではでは、あんまり面白くもない退屈な長話だったと思いますが、なんにしても<世界一周旅行殺人事件>の続きをなんとかがんばって書き上げたいと思ってます~♪
それではまた~!!(^^)/
「子供たちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。
神の国はこのような者たちのものです。
まことに、あなたがたに告げます。
子供のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません」
(マルコの福音書、第10章14、15節)
↓ゴスペルグループ、ウラノスのオリジナル賛美2曲です。上が『奇蹟~miracles~』、下が『あなたはだいじょうぶ』です♪(^^)
まあ、たぶん<世界一周旅行殺人事件>というよりも<世界一周クルーズ殺人事件>とかワールドクルーズ殺人事件っていうタイトルのほうが正しいのかも、なんですけど……書いてて楽しいのはいいとして、やっぱりこれ、結構時間がかかりそうな感じなんですよね

よく考えたら、このワールドクルーズって約100日くらいかかるわけで、その途中で殺人事件が起きっていう設定な上、登場人物がやたら多い――そんなわけで、自分では結構書いたつもりでもお話全体としてはまだまだ全然進んでないような気がしたり(^^;)
でも自分的にはかなりエンジンかかってきた感じがするので、土曜以外あんまり小説書く時間ってとれないんですけど、このままゆっくり少しずつ書き進めるペースでいこうかなって思ってます♪
Lのお話は、Sweet☆じゃない長編の場合、彼はわたしの中のすべてを持っていく感じになるので――それ以外に文章を書いたりっていうことがかなりのところ出来ない感じになってしまうんですよ

なので、ここのブログはその間ほとんど記事とか上がらない状態になるかと思います(汗)
まあ、今回はちょっと『世界一周~』をキリのいいところまで書いたので、その余力(?)でひとつくらい何か書いちゃえ!っていうような気持ちで書いてるような感じです(^^;)
ええと、ひとつ下の記事でキリスト教においての天国云々……っていうことを書いた気がするんですけど、わたし自身は実は、自分に<天国>という概念が必要だったからキリスト教を信じたっていうわけじゃなかったんですよね。
というか、今も正直いって死んだあとは<虚無>でも全然かまわないと思ってる部分が大きいくらいかもしれません

昔、今ほど人間世界において<不幸>を知らなかった頃は――「生まれ変わり」というものがあってもいいかもしれないし、天国に行けるならそれもいい……くらいの曖昧な死生観しかなかったんです。
でも、自分で実際に死のうと思った時には、「生まれ変わり」なんて冗談じゃない、むしろそんなものがあってもらっちゃ困ると思うようになりました
これは確か江原さんもいつだったかTVでおっしゃっていたと思うんですけど、自殺すると、また生まれ変わった時に同じところで躓いて自殺したくなって悩むだろう……という、その可能性を自分は否定したかったわけです。そうではなく、死んだあとに行く場所が虚無ならわたしは全然救われるんだと、そんなふうに思っていたんですよね(^^;)その後、生きるとか死ぬとかいうことを自力で乗り越えていくらか経った時、キリスト教に出会ったわけです。
でもわたしの中ではその時も死生観には何も変化はなく、人間は死んだらその魂は<虚無>のような場所へ行くのだろうと思っていました。
ところが、正統的な教えのキリスト教教会で色々と基本的なことを学ぶうちに――新約聖書のパウロではありませんが、それこそ「目から鱗が落ちる」ような経験をしたわけです。
日本っていう国ではキリスト教についての奇妙な偏見であるとか、そうしたことが案外幅をきかせているので、「どうしてわたしはこんなことも知らなかったんだろう」、「どうして誰も本当のイエスさまの姿について教えてくれなかったんだろう」という不思議な気持ちでいっぱいでした(第一、わたし自身がカトリック幼稚園のバスを見かけただけで「偽善者養成所に通わされている、可哀想な子供たち」とすら思ってましたから^^;)
キリスト教・キリスト教徒=偽善者・偽善的な神というイメージが何故か小さな頃からあって、少しもその教えについて知りたいとすら思っていなかったわけです

たぶん、キリスト教について知りたいと思った人が躓く要因のひとつが、<聖書>という存在かもしれません。
こんな分厚い本を読まなければ信者になれないだなんて、そのこと自体がおかしな宗教だと思う人も多いでしょう。わたしも、独学で聖書という書物を読みはじめた時――パラパラと見た文章を少し読んだだけで、何故こんなものが神の言葉なのかが、まったく理解できませんでした。
でも教会へ通って正しい教えの導きを受けた時に、突然色々なことがわかってきたわけです。
まあ、こういうことを書くと「もしかして洗脳されたのでは?」みたいに感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしが最初に聖書に対して感じた疑問は、教会へ通うことで解けたんですよ(^^;)
つまり、「なんでこんなものを十億人以上もの人が今も信じているのか?」という疑問に対する答えを教会で教えてもらったわけなんです。
こうしたことについては、いくら理屈を並べても仕方のないことで、実際に自分で経験しないことには信じられないし理解もできない領域のことなので、これ以上無駄に言葉を書き連ねるのはやめにしておきたいと思います
ただ、わたしが天国というものを信じているのは、少なくとも今も自分のためではないんです。
正確には、自分以外の他の人のために天国というものを信じているといったほうがいいと思います。
たとえば、わたしがもし死んでその魂が虚無へ旅立つのだとしても――そのことにはとりあえず耐えられるかもしれない。でも、自分にとって大切な人や好きな人が死んだあとに虚無のような場所へいくというのは、想像するのも悲しくて、耐えられないことだ、ということなんです。
仮にそれが人じゃなくても、わたしが昔飼っていたペットだっていいんです。わたしは絶対的に無条件で、昔飼っていたわんちゃんが天国にいると不思議なくらいに確信しています。おばあちゃんは仏教徒だったけれど、やっぱりうちで飼ってたわんこと同じ天国にいるような気がして仕方ない……カトリックでは、人間以外の動物に霊魂というか魂の存在を認めていないと言いますし、おばあちゃんには生前犯した罪の裁きが待っているということになるのかもしれない。
でも、それでも――人間死んだあとのことは、実際に死なない限りわからないわけですから(笑)、<天国>という希望があるのは、とても大切なことだと思うわけです。
もちろん、こうしたことを聞いても、全然ピンと来ない人も世の中にはたくさんいると思います。
人が<天国>ということを強く意識するようになるのは、自分か自分の家族など、大切な人が病気や事故で<死>の近くにいる時でしょうから、今<天国>云々と聞いてもあまりピンと来ない方はたぶん、そう意識はしていなくても、充実した幸せな生活の中にあるのかもしれません。
でもわたしがやっぱり<天国>ということを人に伝えずにいられないのは、今この瞬間にも「天国って本当にあるの?」ということに対して、答えを知りたい方が数多くいると思うからなんですよね。
実をいうと、今から何年も前に骨髄バンクに登録したんですけど――その実際に<登録する>ということにまで踏み切ったのは、ある白血病の女の子が亡くなって、その女の子の作品展を見たからでした。
確かまだ十歳にもならないくらいの頃に亡くなってしまったと思うので、その絵自体は小さな子供の描く、そんなに上手なものではなかったんですけど――死の間際に描かれた絵には何人も天使が描かれていて、涙がでそうになったのをよく覚えています。
わたし自身は今はキリスト教徒なので、もし小さな子が「人は死んだらどうなるの?」とか「天国って本当にあるの?」って聞いてきたとしたら、「うん、あるんだよ」って答えられるし、天国がどんな場所かについても知っていることを教えてあげられると思うんですよね。
でも、その白血病の女の子のお母さんは本当に切なかったと思います。
自分の娘がもうじき死ぬことを予感して、天使の絵を描いている……でも、日本人の場合は仏教にしても、そうはっきりした信仰の教えを持っている人は少ないですから、天国(死後の世界)のことについてうまく答えるのは本当に難しいと思うんですよね。
その女の子の作品展を見たことがきっかけで、ドナー登録をしたところ――それから何年もしてから、型の一致する患者さんが見つかったというお知らせをいただきました。
そこで、母に反対されつつも、一応すっかりそのつもりになって心の準備をしていたところ、そのお話は流れてしまったんですよ(^^;)
型が一致したという患者さんについての情報は一切教えてもらえないことになっていて、「もしかして病状がお悪くなったんですか?」と聞いても、コーディネーターの係のような人は「いえ、そうしたことについても何もお教えできないんです」とのことでした。
実際骨髄移植が成功しても、「ありがとうございます」という手紙が来るかもしれないし、来ないかもしれない、また骨髄提供したあとの患者さんがその後どうなったのか、回復したのかそれともお亡くなりになったのかということについても、一切教えていただけないということだったんですよね。
だから本当に、骨髄を提供する側は全身麻酔をされるわけですけれど、ほとんど無償の奉仕といった形になるわけです(入院の準備金のような形で、少しお金がもらえるといったようなことは書いてあったんですけど、それが大体四千円くらいだったでしょうか^^;)
わたしがイエスさまを信じるようになったのは、脳神経外科病院で看護助手の仕事をしていた頃の話なんですけど――その仕事をはじめて2~3か月くらいした頃に、教会へ通うようになったんですよね。
病棟の仕事って忙しいので、当時はあまり死生観についてとか、キリスト教を信じる前と信じたあとでどう変わったのかとかってあまり考えたことはなかったんですけど、あとにしてみると、自分がお世話をした寝たきりで意識のない方に対して、「このおじいちゃんもおばあちゃんも、みんな天国へいく!」みたいに心の底で思っていた点においては、たぶんキリスト教を信じる前と信じた後では全然違っていたわけです(^^;)
いわゆる<脳死>という状態にある患者さんもいたので、そうした方の意識が生きているのか亡くなっているのかって今も判断が難しいわけですけど――わたし自身はその過程がどうであれ、とにかく最終的にはみんな全員天国へいける!って考えていたんですよ。
もちろん、こうしたわたしの考えっていうのは、キリスト教神学的には間違っているという方もいるでしょうし、その寝たきりや脳死状態の患者さんたちが意識のある時にしっかりとイエス・キリストを受け容れていたのなら、天国へ行けるとおっしゃる方もいると思います。
でも、神さまのいう<天国>って本当に広いんですよ(笑)
入れるかどうかの審査は厳しく、その門も狭い……という噂もありますけど、マザー・テレサが貧しい人たちはみんな天国へ行けると信じていたみたいに、いわゆる異教徒であっても、天国へ行ける可能性はきっとあるってわたし自身は信じています。
そんなわけでまあ、ここって一応Lとウルキオラのためのブログなので、最後に彼らのことについて(笑)
いえ、デスノの世界観では死後に魂は<虚無>へいくということでしたよね……そんでもってわたし自身、Lがイエス・キリストを信じていたとか、そんなふうにはあまり思わないわけですけど(でもその方面に関する知識は一応持っていそう☆)、でもワイミーズハウスがあるのってイギリスですから、ワタリあたりが彼が子供の頃に洗礼とか授けてそうな気がするんですww
もしそうなら、Lは⑦巻でああなったあと(言葉にしたくない
)、ワタリと一緒に天国へ行けたのじゃないかなっていう気がするんですね(^^;)そしてウルキオラはたぶん――孤独とか虚無とか死といったことについて、それを悲しいとか切ないといったようには思ってなかった気がするんです。「孤独だと?虚無だと?死だと?それが一体どうしたというんだ?」っていうような死生観というかww
でも、太陽(織姫☆)を知ってウルキオラの魂ってすごく救われたんじゃないかなって思う。。。
虚無の中にも光が差すということがあるのを知って、嬉しかったんじゃないかな、というか(^^;)
ちょうどわたしが、キリスト教徒になる前は「死後は虚無だが、それがなんだというだろう?」と思っていた時に天国って本当にあるということを信じたみたいに――ウルキオラにとって織姫って本当に天使みたいな存在だったんだろうなって思うんですよね(笑)
まあ、こういう二次元の話と現実を混ぜるのはどーかとは自分でも思うんですけど(苦笑)、わたしにとって彼らってばあんまりその存在が好きすぎてリアルに実在しているかのよーにしか思えないんだから仕方ない(^^;)
ではでは、あんまり面白くもない退屈な長話だったと思いますが、なんにしても<世界一周旅行殺人事件>の続きをなんとかがんばって書き上げたいと思ってます~♪
それではまた~!!(^^)/
「子供たちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。
神の国はこのような者たちのものです。
まことに、あなたがたに告げます。
子供のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません」
(マルコの福音書、第10章14、15節)
↓ゴスペルグループ、ウラノスのオリジナル賛美2曲です。上が『奇蹟~miracles~』、下が『あなたはだいじょうぶ』です♪(^^)
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